氷見うどん
能登の生活文化を伝える店なのに、なぜ氷見うどん?と聞かれることがあります。
いつもは、「氷見も能登半島ですから。」と答えていますが、実は、氷見うどんのルーツを探ると奥能登に行き着くのです。
江戸時代、輪島では、加賀藩御用達の「白髪素麺」が作られていました。
残念ながら今では輪島素麺は廃れ、その技法が氷見のうどんや砺波の大門素麺へと伝えられたものが残っているのみです。氷見では、今もこだわりの手延べで、独特の強いこしと粘りを持つ素朴な味を今に伝えつづけています。
厳選された小麦粉と水、塩を練った麺生地を延べ棒で「手延べ」し、さらにらせん状に包丁を入れて細くし、よりを居れて蛇のとぐろのような麦縄にしていきます。さらによりをかけた麺を二本の棒に八の字に綾かけし、棒同士を離して引き伸ばしていきます。
これが、伝統的な手延べという技法です。この「手延べ」の技術が今から約250年前に輪島から氷見に伝わったとされています。
朝市で有名な輪島ですが、今も地元の人々の台所として開かれている「夕市」があるのをご存知でしょうか。
朝市通りより輪島川を挟んで西側の住吉神社で開かれています。狭い境内の奥には、市の神様の通称「市姫さん」が祀られています。そのご神体は、なんと石臼の石で作られているのです。そう。昔、輪島で素麺を作っていた頃に使われていたものなのです。
輪島が素麺の産地であったことは、余り知られていませんが、17世紀半ばに書かれた諸国特産品の手引書「毛吹草」の中にも能登の特産品として載っています。
その起源は、室町時代と言われ、加賀初代藩主前田利家が奨励したことで、輪島には素麺座という同業者組合がつくられ、最盛期には75軒もの店が素麺づくりをしていたといいます。
北前船の時代には、海路を通じ全国へと輪島素麺が運ばれていったのでしょう。もう一つのルートは、門前町の総持寺祖院です。1321年に開山、最盛期には全国16,309もの曹洞宗末寺の総本山として、君臨していた総持寺には、全国から大勢の僧侶が訪れて、「一夜住職」を務め、寺を預かる資格を得て故郷へ帰っていきました。
そのときに各地へ持ち帰って広がったのが素麺であり、輪島塗だったのです。
実は、総持寺では、修行が休みとなる四と九の日にはうどんを食べるという習わしがあり、現在でも続いています。
もともと、中国で宋の時代に生まれた「麺」は、禅宗の僧によって日本にもたらされたとも言われております。素麺の能登伝来には、総持寺の僧侶が関わり、それが輪島へ広められたのかもしれません。
輪島素麺が姿を消したのは、明治初期の頃。小麦粉や菜種油が不足するなどの事情があったそうです。最近は、復活されたとの話も聞き、嬉しい限りです。
かつては素麺の残りから作ったという塩せんべいは、今も輪島名物として伝えられています。氷見うどんを味わうことで、輪島に伝えられた技が、富山湾の風土に育まれ、うどんづくりの文化として、今に伝承されていることを実感してくださいませ。いしり亭特製のうどんだしは、能登の風土が育てた「いしり」風味。そして能登の技を今に伝える氷見うどん。両者のハーモニーが織り成す、能登の文化交流をぜひ味わってください。
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